昨晩我が家に子猫がやってきた。
茶色っぽいのが「さくら」、白っぽいのが「小梅」。
ずっと姉妹で引き取りたくて、血眼でもないけど捜してうちに来た子。
まだ生まれて1月くらいしか経ってない。
ああかわいい。
昨晩我が家に子猫がやってきた。
茶色っぽいのが「さくら」、白っぽいのが「小梅」。
ずっと姉妹で引き取りたくて、血眼でもないけど捜してうちに来た子。
まだ生まれて1月くらいしか経ってない。
ああかわいい。
相方拾って火曜市行く前に、ハンズで気になってる錆取り剤が売ってるというので査収しに。結構前からレストアしてる人のサイト読んで知っていて、これは錆気味の愛車に欲しいと思っていたので、近場で売っているとは知らなかった。
愛猫がいなくなってかれこれ1年近くになる。だからといって愛猫のことはなにも風化しておらず、やっぱりまだ新しい猫を迎え入れようとかは考えられない。
いや迎え入れたい気持ちはある。ネットで猫の写真や動画を見るといいなぁとか思うんだけど、どこか愛猫に悪い気がしてならないというのが正直なところ。あんだけ一緒にいたのにすぐに他を受け入れるのは、心が、そうやたすくない。毎日ご飯と水と線香をあげているからなおさらかも知れないけど。
自分は三日坊主で、ひどく面倒くさがりの人間だと思っていたけれど、毎日続くもんだなぁ。それだけ未練と後悔があるのかな。
そうやって一日も欠かさず線香上げていたら初盆を迎えてしまった。日本に住んでいてお盆の概念が分からなかったので、とりあえずお盆のwikiで勉強。要約すると、13日に故人が来て、16日に送り出すらしい。なんとなく15日がピークかと思っていたんだけど、16日に送り出す。
明日は所用で出かけなきゃならんので、ついでに足を伸ばしてお墓まで愛猫を迎えに行こうかな、なんて考えながら、これまた所用で出かけたついでに、先程相方を拾って車で帰宅している最中のことだった。
大通西14丁目辺りを、オリンピックについてインタビューしているテレビを観ながら通り過ぎている時に突然、
「にゃう」
と耳元で聞こえた気がした。ちょうどセンターコンソールの上あたりから。
当方のカーテレビはトランスミッターを搭載しているので、テレビ音声をFMラジオから流すことができるのだが、てっきりインタビュー中のおばさんが抱えている猫が出した声だと思っていた。それにしちゃ、ずいぶんとノイズも混じらずクリアに聞こえたなぁと思っていると、「いま猫鳴いたよね?」と相方。
認めたいような認めたくないような。。。二人同時に聞こえるなんて集団催眠でもあるまいし、これはきっと愛猫が帰ってきたんじゃないかと思うことにした。バカと思われてもいい。
ドジっ子で13日よりちょっと早くて、車乗る時の指定席だった後部座席中央から「帰ってきたよ」の挨拶。本当にバカで、他人が言ってたら頭おかしいんじゃないかと思うだろうけど、なんか、ここにいるってのが物凄く嬉しかった。ああいるんだなぁって。あんまり嬉しくて帰ってきてからまた線香あげてみたり。
明日、お墓に行くのがちょっと楽しみ。短い間だけど、暑いけど、グデーッと過ごしていって欲しいな。
手を組んでおねんね
愛猫が他界してから早三ヶ月。
今週末には百ヶ日法要でお墓まで行って来るつもり。
いなくなってから長い時間が経った気もするけど、考えてみればついほんの前の出来事。心の傷が癒えたかというと、未だにジクジクと痛んでいるのが現状。
つい最近、帰宅途中にペットランド@ファクトリーの前を通りかかり、ついでに猫でも見て行こうかなとか考えたものの、心でそれを止めてしまったくらい癒えてない。まだ、見ちゃいけない気がした。
相方と一緒ならまだしも、一人では見られない。愛猫に義理立てしているわけではないけれど、まだそんな段階じゃない気がして、そのまま中を抜けてtvh方面へと抜けた。
部屋にいても、去年のこの時期にはストーブの上で丸くなってたなとか、夜になると布団の中に潜り込んできて毛布をモフモフしてたなとか、そんなことを思い出すばかり。ベッドの足元の方に、丸くなってる存在がいないとやっぱり寂しいや。
最近思うのは、誰が愛猫を殺したんだろうかということ。
「猫は飼主の不幸を代わりに受ける」らしく、確かに今年に入ってから、特に夏を挟んだ前後はなにもいいことがなかった。実際今でもあまり調子よくはないのだけれど。
当方の身に降りかかったなにかが愛猫に行ったとするならば、それは死ぬほどのものであったわけで、一体どんなヤツの仕業なんだろうかと思うと、同じようにして殺してやりたいと思う。(実際元気がなくなってから他界するまで一ヶ月なかった)霊的なものならばあの世に行って、さらに殺してやりたいと思う。
三ヶ月経ってもこんな心理状態で、治療した診断書であったり領収書・請求書を見るだに泣けてくるわけだから、例えば今日の昼に愛猫が息を引き取ったとするならば、そのショックと悲しみ、後悔は計り知れない。
友達は、愛猫に対して事前に打つ手は色々あったと思う。
その結果、後悔することも多々あると思う。けれど、たった3年だったけれど、楽しいことや嬉しいこと、もっと大切なことを愛猫は教えてくれたのだから、悲しいけどお空へ還してあげてね。
忘れないことが本当の幸せなんだと思うから。
先週の土曜に愛猫が発って一週間経った。
土曜は体を休めつつも通夜なので線香絶やさぬようにしていた。
休んでいる合間にちらりと見た車で事故る夢は、きっと気をつけて運転せぇよというお知らせだったんだろうなと思った。
腐敗せぬように保冷剤を入れなければならないのだが、ぬくまったら当然新しいのと交換しなければならない。その際、愛猫を抱えた時の重さに号泣してしまう。最期は元気な時より2kg近くも痩せてしまったのに、なんと重いことよ。軽いはずなのに、亡骸が訴えかけてくるよう。
分かってはいたのに、自分より長くは生きられないと理解していたはずなのに、なんであの時自分はこう判断してしまったのだろう、入院を考えてみては? と言われた時になぜ素直に従えなかったのか。ストレスになるからと思って判断したのが裏目に出たのか。。
どれが正解で、どれが間違いだったのか、もういまさら知る術はないのだけれど、物凄い罪悪感と後悔を今でも感じています。
夜が明けて動物病院で紹介されたお寺へと供養をしに。猫に人間の概念である「仏教」を押し付けてよいのかも分からなかったが、ああ、これは結局人の気持ちなんだなと思った。安心して成仏して欲しいという気持ちがお寺なり、教会なりに人を運ばせるのだろう。
焼いてもらう前にお経を上げていただいたのだが、愛猫の名前を読み上げていただいた時に、ああこれが本当のお別れになるんだと思うと涙が止まらなかった。
火葬場に着いて、あの扉が閉まる直前まで「バイバイ、元気でね」とお別れをするまで涙が止まらなかった。だって、いますぐにでも立ち上がってもおかしくなかったんだもの。お坊さんに「きれいな猫さんですね」って言われたくらいだったんだもの。
泣き疲れたわけじゃないけど、骨になった愛猫を見ると、そこに確かにいるんだけれど、少しだけ気持ちの整理がついたような気がした。よっぽど考えなければ涙がでなくなった気がする。
ともよりいつまでも悲しんでいては、返るに返れないだろうと思った。送り出すために、好きだったカリカリ、おかか、チーズ、またたびを一緒に焼いたのに、それじゃ現世に愛猫を縛り付けてしまうと思ったから、なるたけ考えないようにした。
相方の話だと初七日で魂は三途の川を渡るらしいから、それまではこっちにひっぱられちゃダメだと思ってたし。
それでも、ふとした時に、出窓から降りる時の音が聞こえたり、カリカリを食べた時の音が聞こえたような気がした。まだいるのかなって、少しだけ嬉しかった。
そして今日、初七日が過ぎ、納骨をしてきた。立ち会うことができてよかった。猫の共同供養塔だから、きっと寂しくないよね。
またどこかで、会えたらいいな。たくさんいろんな大切なことを教えてもらって、いろんなものをくれた。
たった13年、されど13年。
暑い時は涼しいところでだらーんとして、寒い時は布団に潜ったりして一緒に過ごしてきた。本当はもうちょっと一緒にいたかった。16年生きてる猫とか雑誌で紹介されてるから、それまでは一緒にいたかったな。
初めての動物、猫で、初めて看取った愛猫。
大切で大切で、いなくなって寂しいけど、自分が死んだらまた会えるかなって思ってる。
だからそれまでバイバイ、またね。
平成19年9月8日、午前8時43分に静かに息を引き取りました。
最後の最後に、苦しい中ICUの向こうを向いていたのに、こちらへ体を向き直して挨拶をしてくれました。
今でもすぐに歩き出してくれそうな気がしてなりません。
いろいろあって現在ICUへ入院しています。
前向きに考えたいけれど、13年以上も隣にいた存在がいなくなると、どうしていいやら分かりません。
そんなわけで昨日獣医へと愛猫従えて赴いた当方。結果はというか、電話で聞いていた通りの「原因不明」。
しこりから採取した細胞は2つ。ひとつは古いであろう細胞、もうひとつは比較的新しい細胞。
で、一つ目の細胞は脂肪が壊死して石灰化したものであり、腫瘍であるとか原因追求以前の問題。
二つ目は新しい=フレッシュだったためある程度の判断材料にはなるんだけど。。。
てな具合。診断した医者も報告書で暗に分からんって書いてるし。
不幸中の幸いは、前のエントリでも書いたけど、現段階では腫瘍の可能性がほぼ否定されたということ。腫瘍となりうる要因を消去法にかけると残らないらしい。
故に内科的な疾患の疑いが濃厚になったわけだが、院内の血液検査だと白な結果なので、それも外注に出す。
すい臓が怪しいとは医者の弁なんだけど、これで結果出なかったら、ガチで原因不明。とりあえず壊死している部位の切除も含めて原因がわからんと手の打ちようもない状況。
これだけ広範囲に渡る脂肪の壊死や石灰化という症例がないので、きっと愛猫のことが学会に報告されるんだろーなーとか考えたり。
さて帰る段にお会計なわけだが、正直そんなかからんだろうと踏んで15K程度しか弾を込めていなかったのだが、そんな希望を完璧に打ち砕く20kオーバー。
あー切ったさ、カードをさ。カード。
来月の引き落としやべぇな。自動車保険の一括と愛猫の病院代とで確実に死ぬる。どーしよ。。。
そんなわけで愛猫の完治まで当方の財布がカスカスになってゆく状況をお伝えするエントリへと変貌するのでした。
6月頭頃、愛猫の三種混合ワクチン接種のお知らせが舞い込んだ。
かかりつけの獣医からなんだが、ペット禁止の物件に堂々と「なんちゃら獣医」と名前が入ったDMが届くのはどうかと。
それはさておき、その頃気になっていたのが、愛猫の右脇あたりに、三日月状に張り付く「しこり」。
こんなんあったっけなとか思いつつ、ワクチン接種する時に触診してもらおう、そんな大したもんじゃねぇだろうとか思っていたんだが、それが結構な大事に発展するとは思いもせなんだ。