2007年9月の記事一覧

初七日と納骨。

  • ぬこ

先週の土曜に愛猫が発って一週間経った。

土曜は体を休めつつも通夜なので線香絶やさぬようにしていた。
休んでいる合間にちらりと見た車で事故る夢は、きっと気をつけて運転せぇよというお知らせだったんだろうなと思った。

腐敗せぬように保冷剤を入れなければならないのだが、ぬくまったら当然新しいのと交換しなければならない。その際、愛猫を抱えた時の重さに号泣してしまう。最期は元気な時より2kg近くも痩せてしまったのに、なんと重いことよ。軽いはずなのに、亡骸が訴えかけてくるよう。

分かってはいたのに、自分より長くは生きられないと理解していたはずなのに、なんであの時自分はこう判断してしまったのだろう、入院を考えてみては? と言われた時になぜ素直に従えなかったのか。ストレスになるからと思って判断したのが裏目に出たのか。。

どれが正解で、どれが間違いだったのか、もういまさら知る術はないのだけれど、物凄い罪悪感と後悔を今でも感じています。

夜が明けて動物病院で紹介されたお寺へと供養をしに。猫に人間の概念である「仏教」を押し付けてよいのかも分からなかったが、ああ、これは結局人の気持ちなんだなと思った。安心して成仏して欲しいという気持ちがお寺なり、教会なりに人を運ばせるのだろう。

焼いてもらう前にお経を上げていただいたのだが、愛猫の名前を読み上げていただいた時に、ああこれが本当のお別れになるんだと思うと涙が止まらなかった。

火葬場に着いて、あの扉が閉まる直前まで「バイバイ、元気でね」とお別れをするまで涙が止まらなかった。だって、いますぐにでも立ち上がってもおかしくなかったんだもの。お坊さんに「きれいな猫さんですね」って言われたくらいだったんだもの。

泣き疲れたわけじゃないけど、骨になった愛猫を見ると、そこに確かにいるんだけれど、少しだけ気持ちの整理がついたような気がした。よっぽど考えなければ涙がでなくなった気がする。

ともよりいつまでも悲しんでいては、返るに返れないだろうと思った。送り出すために、好きだったカリカリ、おかか、チーズ、またたびを一緒に焼いたのに、それじゃ現世に愛猫を縛り付けてしまうと思ったから、なるたけ考えないようにした。

相方の話だと初七日で魂は三途の川を渡るらしいから、それまではこっちにひっぱられちゃダメだと思ってたし。

それでも、ふとした時に、出窓から降りる時の音が聞こえたり、カリカリを食べた時の音が聞こえたような気がした。まだいるのかなって、少しだけ嬉しかった。

そして今日、初七日が過ぎ、納骨をしてきた。立ち会うことができてよかった。猫の共同供養塔だから、きっと寂しくないよね。

またどこかで、会えたらいいな。たくさんいろんな大切なことを教えてもらって、いろんなものをくれた。

たった13年、されど13年。

暑い時は涼しいところでだらーんとして、寒い時は布団に潜ったりして一緒に過ごしてきた。本当はもうちょっと一緒にいたかった。16年生きてる猫とか雑誌で紹介されてるから、それまでは一緒にいたかったな。

初めての動物、猫で、初めて看取った愛猫。
大切で大切で、いなくなって寂しいけど、自分が死んだらまた会えるかなって思ってる。
だからそれまでバイバイ、またね。

平成19年9月8日、午前8時43分に静かに息を引き取りました。
最後の最後に、苦しい中ICUの向こうを向いていたのに、こちらへ体を向き直して挨拶をしてくれました。

今でもすぐに歩き出してくれそうな気がしてなりません。

いろいろあって現在ICUへ入院しています。
前向きに考えたいけれど、13年以上も隣にいた存在がいなくなると、どうしていいやら分かりません。

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