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愛しい存在がいなくなるということ。

  • ぬこ

愛猫が他界してから早三ヶ月。
今週末には百ヶ日法要でお墓まで行って来るつもり。

いなくなってから長い時間が経った気もするけど、考えてみればついほんの前の出来事。心の傷が癒えたかというと、未だにジクジクと痛んでいるのが現状。

つい最近、帰宅途中にペットランド@ファクトリーの前を通りかかり、ついでに猫でも見て行こうかなとか考えたものの、心でそれを止めてしまったくらい癒えてない。まだ、見ちゃいけない気がした。

相方と一緒ならまだしも、一人では見られない。愛猫に義理立てしているわけではないけれど、まだそんな段階じゃない気がして、そのまま中を抜けてtvh方面へと抜けた。

部屋にいても、去年のこの時期にはストーブの上で丸くなってたなとか、夜になると布団の中に潜り込んできて毛布をモフモフしてたなとか、そんなことを思い出すばかり。ベッドの足元の方に、丸くなってる存在がいないとやっぱり寂しいや。

最近思うのは、誰が愛猫を殺したんだろうかということ。
「猫は飼主の不幸を代わりに受ける」らしく、確かに今年に入ってから、特に夏を挟んだ前後はなにもいいことがなかった。実際今でもあまり調子よくはないのだけれど。

当方の身に降りかかったなにかが愛猫に行ったとするならば、それは死ぬほどのものであったわけで、一体どんなヤツの仕業なんだろうかと思うと、同じようにして殺してやりたいと思う。(実際元気がなくなってから他界するまで一ヶ月なかった)霊的なものならばあの世に行って、さらに殺してやりたいと思う。

三ヶ月経ってもこんな心理状態で、治療した診断書であったり領収書・請求書を見るだに泣けてくるわけだから、例えば今日の昼に愛猫が息を引き取ったとするならば、そのショックと悲しみ、後悔は計り知れない。

友達は、愛猫に対して事前に打つ手は色々あったと思う。
その結果、後悔することも多々あると思う。けれど、たった3年だったけれど、楽しいことや嬉しいこと、もっと大切なことを愛猫は教えてくれたのだから、悲しいけどお空へ還してあげてね。
忘れないことが本当の幸せなんだと思うから。

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